必要火急の旅へ(その2)

昨夜は道の駅美濃にわか茶屋で二夜連続の車中泊でしたが、疲労と羽毛布団のお陰で氷点下でも快眠!白川郷からの一般道はお店がほとんど無くて晩飯にありつけるか心配でしたが、岐阜で展開しているゲンキーというスーパーが激安で、翌日の昼飯分くらいまでたっぷり補給できました。

 朝七時に再び三井山に戻り、機材を担いで10分ほどの山登り。小さいながら先日登った高尾山よりもよっぽど山っぽいのはもともと山城だったからだそうで、当時土岐氏が治めていたものを織田信長のお父さんが攻め落としたらしい。今では岐阜基地はもちろん岐阜市街地や遠く名古屋まで望める眺望だけでなく、古墳や貯水池もあってバラエティ豊かな憩いの場と言えましょう。

 また岐阜基地は飛行開発実験団という試験部隊のベースであり、全国で活躍している航空自衛隊運用機のプロトタイプや初号機が、各種テスト用に運用されております。昨日に引き続きヒーヒー言いながら登頂後基地エプロンを凝視すると、今日はファントムが三機も整列!早くも祭りの予感に武者振るいしつつ望遠レンズをセットしていると、通常1stフライトよりもかなり早い7時半に、一機のファントムがタキシーウェイへ踊り出す様子を確認しました。

 ついに残り少ないファントムの飛翔を収められるかとドキドキしながらファインダーを見つめると、グングン高度を上げてこちらに近づくファントムは、まさかの301号機!!!知る人ぞ知るレガシー・ファントムで、三菱重工のライセンス生産でなく近代化改修も施していない、米国マクダネル・ダグラス社製の純粋EJ型!初号機かつ飛実特別塗装を施したファントム・オブ・ファントムという伝説の機体だったのです。

 しかも三本タンクの遠征仕様で、Twitterによると結局この後百里基地まで飛行して翌日帰還したのですが、SNSによれば最後のファントム飛行隊が巣立った基地へのお別れ飛行だったのではないかという推測でした。貴重な瞬間に立ち会えて、岐阜遠征の目的が完遂された事をしみじみと噛み締めつつ、あとはビクトリー・ラン。昨日に引き続きF-2やF-15、T-4にC-1初号機、KC-767まで拝めました。疲れを溜めないままどのタイミングで撤収するかが肝ですが、喜びも束の間、これまで息を潜めていた雪が猛烈な勢いで降り出し、眼下の光景が霞むほど。これはもう午後の訓練はキャンセルだろうなと判断し、以前名古屋空港を訪れた際訪問し損ねた、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館へ行くことに。

 車で数分の博物館もほとんど客がおらず、あわよくば建物の屋上展望所から監視を続けようと思いましたが、やはりこの荒天が尾を引き当然の如く閉鎖。諦めて望遠とレシーバーをぶら下げたまま、ピカピカの状態で展示されている展示機を見渡します。やはり非凡な縁(非縁)を感じるのは、日本に一機しかない帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」の復元実機。2015年まで知覧特攻平和会館に展示されていた機体が川崎重工岐阜工場へ里帰りし、充分な修復作業を経て目玉として展示されていました。知覧での鮮やかな塗装とは異なり、ジュラルミン剥き出しの荒々しさは、戦争遺跡としての迫力を存分に見せ付けます。参考機体のフォッケウルフよりも秀でた性能を出しながら複雑な液冷エンジンの整備が追いつかず、悲運を迎えた戦闘機。生まれた地に戻り、安息の眠りに落ちたかのようでした。

その3に続く