人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。織田信長が舞ったと言われる敦盛の一節が有名だが、ついに明日50歳を迎えてしまう。私の人生はそこそこ浮き沈みがあったのだが、端的に言えば幾つかの出会いが人生のステージを繰り上げて、現在の幸せを掴めていると言えよう。余命平均値から判断するなら人生はまだまだ続き、社会的には中核を成して、親世代を見送り子供たちを導くなど役割を果たさねばならない。ここ数年は特にセンシティブな体験を経て、ライトワーカーを自称するようになった。スターシードとも呼ばれていて、スピリチュアル界隈においては狭い環境だけで通用するルールで考え方や行動を縛るのを辞めて、宇宙というか人間が想像できる最大限の広さに生きている存在として自らを俯瞰するとどう映るか?という考え方に目覚めた人の事を呼ぶ。独善的な考え方に見えるが、ルールや縛りを超えた、自然に存在している普遍的な景色や愛を感じ伝える事で、自らはもちろん家族や友人、周りに存在する人々へ生命の喜びや感謝を伝播できる存在になろうとしているのである。
さて私は幸いにも丈夫な体を頂いたおかげで走る事以外は大抵習得が早く、それに母が味をしめたのか就学前から空手、習字、そろばん、ピアノ、水泳、サッカーと習わされた。多くは嫌々ながら取り組んでいたが、その中である程度目が出たのは学校代表に選ばれた水泳くらい。友人に誘われて初めて自ら「やりたい」と親に願い出たバスケットボールは40歳まで続けた。自転車、ボウリング、写真撮影と趣味は変遷して今に至るが旅行も大好きで、学生時代には何回かに分けてバイクで日本一周を果たした。最南端の波照間島、最西端の与那国島、最東端の納沙布岬、最北端の宗谷岬に到達し、最後の北海道を四日間で一周するのは暴挙に近かったが、網走の民宿で頂いた巨大なホッケの焼き魚と濃厚な旨味は忘れられない。来月久しぶりに北の大地を踏む。どんな出会いが待っているか楽しみである。
前置きはこのくらいにして、この時期私は桜を追いかける。生まれ育った鹿児島は桜の名所が非常に少なく、満開を美しく撮る機会は少なかったのだが、東京はあらゆる河川敷や住宅街、駅前の目貫通りなどに植樹されていて、どこでも桜並木を拝む事ができる。目黒川や千鳥ヶ淵などの有名所は人も多過ぎて辟易したが、一方で隠れ家スポット的な場所で独占できる楽しみもある。今回は秋に渋谷のギャラリール・デコで開催されるポートレート写真展に参加するため、桜の下でモデルさんを撮影する事に決めたのだが、仕事の移動中に偶然見つけた場所は誰も人が居らず、モデルさんが育った街並みを俯瞰できるという偶然にしてはでき過ぎたシチュエーションで、集中して取り組む事ができた。私は写真で癒しを与える事を目的に活動しているが、この写真を見て、あなたが何のために生まれてきたのか?苦労は何のためにあったのか。そして大切な家族や友人はどんな思いであなたを支えてくれたのかなど、思いを馳せて貰えたら幸いである。写真展は2024年10月22日から27日まで。人物撮影に興味ない方でも、どうかお越し願いたい。
さて今年は毎週末レガシー・ホーネットが地元の横田基地に散歩に来るためわざわざ桜を撮りに行く時間が取れず、仕事中に通りがかった場所で携帯しているGR3で撮ったものがほとんど。特に小金井の野川の風景が満開真っ盛りで非常に良かった。たまたまこの時は一眼レフが車に積んであったため、35mmで頂いた。他は多摩センター、練馬駐屯地、福生など。他にも好きな場所はあるが素敵な場所を開拓できたのは良かった。これまた私ごとで恐縮だが、長女が鹿児島と東京の中間地点である和歌山へ進学が決まり、キャンパスライフ第一号の動画が送られて来たのだが、何とヨット部の乗船体験らしくピースサインを堂々とキメる娘はまるで石原慎太郎かと思ってしまった。娘も自立への歩みを始めたので、私はせいぜい稼いで仕送りを続けなければならない。そのためしばらくは費用の掛かる遠征を取りやめて副収入の仕組みづくりに勤しむ。基地活でお会いする機会は減るかもしれないが、皆さんを幸せにする取り組みにエネルギーを割きたいと思う。様々な活動を含めて今後とも見守って頂きたく、お願い申し上げたい。近々の予定としては、日本航空写真家協会が次に出版する写真集に掲載が決まっている。お楽しみに。