写真展受賞録~鹿児島凱旋紀行

この度、鹿児島県ローカル紙の南日本新聞社が主催する第52回南日本写真展において、南日本新聞社賞に次ぐ第二席「鹿児島県写真館協会賞」を受賞しました。出品点数1170点、申込者369名、入賞317点。第49回の特選から入選2回と続き、4年連続の入賞となります。タイトルは「路の覇者」(みちのはしゃ)。生まれつき右足が短かったオランダ人アスリートJetze Plat氏が、東京お台場で行われたTokyo2020パラリンピック、パラトライアスロンPTWC種目で金メダルを獲得。栄光への最終コーナーを駆け抜ける瞬間を記録しました。一躍時の人となった(自分で言う笑)私が故郷に凱旋した模様を日記的に記録しましたので、何かの暇つぶしになれば幸いです。

・新聞購読を辞めて久しいですが、南日本写真展の入賞者発表記事を毎年必ず送ってくださる鹿児島のドローン撮影仲間Aさんより、今回も朝早く「協会賞おめでとう」のメッセージと新聞記事が添えられていました。はて、協会賞とはなんぞや?とお伺いしてみると、鹿児島県写真館協会賞という、大賞の南日本新聞社賞に続く第2席らしい。正直何が何だか分からず、喜びよりも「うわ〜やっちまったな」という焦りの方が大きかったかもしれません。さすがに表彰式の欠席は失礼かとすぐに休暇申請とチケットを手配し、半年ぶりに自宅へ帰る事になりました。五月の祖母の訃報ですら忙しくて帰宅出来なかったのですが、仕事も落ち着いて目的があり、スムーズに帰れる事になったのも祖母の導きかなと、改めて感謝した次第です。

・最寄駅から出発する朝4:45発の空港リムジンに乗車し、朝6時過ぎに羽田空港第2ターミナルへ。早くにチケットを押さえたおかげで往復2.5万でソラシドエアへ初搭乗できることになりました。チケットカウンターが一番左側で探すのに苦労しましたが、荷物を預けて展望デッキへ。鬼滅の刃じぇっと弐号機に興奮しているとトーイングカーに牽引されて近づく壱号機を発見し、贅沢なツーショットをゲット!早起きは三文の徳とはよく言ったものです。快晴のおかげで空撮も順調で、ゆず入りのだしスープを飲みつつ快適な空の旅。左側の窓際席を選んだので富士山が見られず残念でしたが、雄大な桜島を収める事ができました。空港から鹿児島中央駅に至るバスの中で中学の同級生から「夕方から参議院議員候補ウトタカシ(彼も同級生)の講演があるよ!」とLINE。偶然帰郷したから後で寄るよと返事して駅に着いたら、件の彼がお出迎え!宇都事務所で奥さんが事務員、彼は動画配信と設営、ポスターや選挙カーのデザインを担当したそうです。僕の受賞は知らなかったですが、思わぬ再会に驚いて一瞬で標準語から鹿児島弁に戻ってしまいました笑。

・今朝の南日本新聞には見開きで、入賞者の作品と顔写真、先日対応した取材記事と審査員講評が掲載。義母が見つけて妻から写メが届いたので、帰宅直前にコンビニで新聞を購入します。見開き紙面の右上にデカデカと掲載されており、まるで私が大賞を撮ったかのような扱いでしたが、これを見た元職の上司や写真仲間から祝福のメールやLINEが続々と届き、改めて新聞の影響力を感じました。予めモデルのTokyo2020パラリンピック、パラトライアスロンPTWC金メダリストJetze Plat氏にはメールで出展許可を得ていたのですが、受賞報告でinstagramにタグを付けて紙面を載せると”Cool!”のコメント。せっかくなので記事を英訳してメールに添付しましたが、こうしている間にも彼はカナダでのパラトライアスロン世界大会で金メダルを取っていたので、改めて凄い出会いだったと思います。

・帰宅して最初にやらねばならない事は半年寝かした原付バイクの再起動だったのですが、リチウム電池式のブースターを繋いでも案の定セルモーターが反応せず、表彰式会場の南日本新聞社へは徒歩で向かうことに。何でかなと頭の片隅で色々考えていたのですが、東京へ戻る日の朝に「バッテリーケーブル繋いでなかった!」と原因に気づき、ケーブルを繋いでみたら見事に一発始動!歳のせいか最近よくあるおっちょこちょいなミスでした。表彰式会場は徒歩20分くらいでしたが、灼熱地獄でスーツだったので夕立に見舞われたかのような汗だくに。モバイルファンでクールダウンしつつ待機していると、南日本新聞社の社長挨拶から表彰式が始まりました。52回もの歴史がある南日本写真展は大賞賞金10万円、国内有数の著名写真家を審査員に招くなど同社の社運を賭けた企画で、特に新型コロナウイルス蔓延により応募者の意欲が減退したかと思いきや、問題意識が高く切れ味のよい作品が集まったとお褒めの言葉。私以外の受賞者のほとんどが大賞や優秀賞の常連と知り、改めてスタートラインに立たされた事を知りました。立派なトロフィーと賞状を社長から賜りましたが、4年連続入賞くらいで満足している場合ではありませんね。

・表彰を終えて記念撮影(自撮り)の準備をしていると、「つかぬことをおうかがいしますが」と優秀賞を受賞されたNさんが話しかけていらっしゃいました。「池田さんは鹿児島高校出身ではないですか?私は社会科教員室でS先生と同僚で、Sさんから教え子かどうか確認してくれと頼まれておりまして。」もちろんピンときて返答するとすぐさまガラケーを取り出しSさんに架電!なんと卒業以来、30年ぶりに恩師と通話することになったのです。張りのある声は全く変わらず、御歳77になられたそうですが大変お元気そうで、私の受賞を喜んでいらっしゃいました。私が(なんと義母も!)母と同じ鹿児島高校出身で、特待生で入学生代表挨拶を務めた私は、3年間通して担任だったS先生には他の生徒以上に期待されつつも、結局は第一・第二志望校に落ちて新設の国公立大学(合格倍率22倍)にかろうじて滑り込み、なんとか面目を保って恥ずかしい限りでした。長く音信不通で不義理を貫いておりましたが、故郷に錦を飾るとはこの事かなぁと感慨深い思いに浸ります。

・表彰式から一旦帰宅し、電車で鹿児島市立美術館へ。入口で再会した南日本新聞社のSさんと挨拶し自分の作品が飾られているエリアへ。記念撮影用のスタンドを組み立てていると、前鹿児島県文化協会長の写真家、熊副穣先生が観覧に回っていらっしゃいました。長くMBC学園の写真講座講師を務められて、今回大賞を受賞されたMさんの恩師であり、かつて私が健康の森公園で行われた牡丹撮影会で指導を頂いた縁がきっかけで知り合って、数年後に照国神社の浴衣撮影でも偶然お会いするなど不思議なご縁を保ち続けてきたのですが、数ヶ月前に心臓病で入院されたと聞き体調を心配しておりました。以前よりもだいぶやつれて小柄になっていらっしゃいましたが、私が話しかけると徐々に思い出して頂き、作品の講評をお伺いする事ができたのですが、やはりサングラスに映る都会の景観や滴る汗、ちょっと流し撮り気味のテクニックなどをお褒め頂きました。腕から心臓に移植した血管が古くなって再移植には耐えられない状態となり、もはや静かに余生を過ごすだけと自嘲気味に呟かれましたが、医者からは出歩くなと言われてるけどシャッターが押せなくなるまでは撮り続けるよと、力強い決意もお伺いできました。まさに生涯を写真に捧げた方の遺言のように思えて、胸が熱くなりました。後からいらっしゃった南日本新聞の元報道カメラマンのHさんを紹介して頂き、大先輩からまた貴重なご縁を授かりました。ありがたき幸せでございます。

・記念撮影を終えてミッションコンプリートしましたが、在廊とは言っても私を知る人はそんなにいないので他の作品を鑑賞しながら知り合いが来ないか待っていましたが、時々入賞された方からお褒めを頂くのがとても嬉しかったです。今回の写真展は複数枚入賞していらっしゃる方が多く、私は自信作を2枚落とされた身分なのであまり偉そうな事は言えないのですが、それぞれ得意分野を活かしこれぞという作品を応募されたようで、こんなに傑作揃いの中での第二席というのは、これは大変に名誉な快挙であると認識しました。星景が得意なYさんはご来光登山で賑わう高千穂峰を遠くの山から撮るという珍しい試みにチャレンジして、狙い通りに押さえた1枚。「僕は星しか撮れないから」というご謙遜でしたが、星撮りは根気が要る撮影で尊敬しますとお伝えしました。ポートレート撮影仲間のSさんも入選されて飛行機撮影仲間のKさんやSさんもご自身の「好き」をしっかり画角に閉じ込めた「〜さんらしい」作風でした。Aさんのドローン空撮も板についてきた感じで、登録制の導入などハードルが上がりましたが、いずれまた空撮にもトライしたい。あと会場で、新聞の顔写真より実物がずっと男前とお褒め下さったお姉様も、ありがとうございます!

・在廊を終えて電車で鹿児島中央駅に移動し、参議院議員候補の宇都隆史氏による講演を拝聴。中学校の同級生が5〜6名集まってちょっとした同窓会になりましたが、始まる前までは柔和であったウトタカシも講演が始まると真剣な表情で安全保障についての自論を展開。小野寺元防衛大臣をはじめ自民党鹿児島県連も総出のバックアップは頼もしかったのですが、立川駅前で安倍元首相の応援を頂いたにも関わらず、結果は前回より3万票減らし惨敗。実績があっても厳しい事しか言わない論調が、緩い世代には浸透しなかったのかもしれません。日本国民が考える能力を奪われて楽な方へ傾く道が左傾化である事をどのような事態になれば気がつくのか、背筋が寒くなりました。この様子だと人民解放軍を万歳で出迎える悪夢が現実になりそうですね。危機感を保ちつつ、美しい日本を取り戻す努力は継続していきたいと思います。

・時間が押したため、講演を途中で切り上げて友人とタクシーで懇親会会場へ。元々は家族で食事するだけの目的でしたが、一応大きな賞を取って凱旋したので報告する場所が必要であろうと自主企画したところ、家族の他に中学の同級生が2名、カメラの師匠と先輩がお一人づつの奇妙な組み合わせに。加えてお店のマスターが友人で奥様は元同僚という極めてアットホームな空間となりました。マスターからお祝いで頂いたシャンパンの栓をおっかなびっくりで抜くところを娘が撮影し、下戸なのでずっと酒断ちしていた禁忌を破って乾杯で口をつけたところ、なんと美味いではないですか!高価なお酒だからだったのかもしれませんが、勝利の美酒まで味わえて夢のようです。さらに師匠からPENTAXのMXというフィルムカメラを頂いたり、自作のフォトブックを回覧したりと私が楽しんだのはもちろんですが、どこにも連れて行ってやれなかった家族も僕の友人たちとおしゃべりするなど、楽しんでくれたように思います。こんな素敵なシチュエーションは、なかなか作れないなと思いました。

・結局夜の7時から10時まで騒ぎ、歩いて15分で帰宅。翌日は午前中に息子の愛護会行事があるとの事で、小学校まで妻と父兄参観を敢行し、息子の作業風景を見てからスタバへ。午後は再び鹿児島市立美術館で在廊し、何名かの写真仲間と懇談しました。この年齢での友達はだいたい趣味繋がりが多く、会う機会は少ないものの普段からSNS等で頻繁に交流するため、オフラインでの盛り上がりは沸点に達するのが早い!機関銃のように話し込んでいると娘と息子を連れた妻が合流してきたので、高島屋プラザ跡地に完成したセンテラス天文館を見物したり山形屋デパート名物の焼きそばを食べたり、薩摩蒸気屋の菓々子横丁で焼きたてのドーナツ食べたりと近場で遊びます。娘から「どう思う?」と見せられたカマキリの写真は、控えめに言っても空間をうまく切り取った傑作で、ちょっとだけトリミングをアドバイスしただけで褒めちぎったのですが、後継者として頼もしい。また息子とは夜に高校以来30年ぶりの竹迫温泉へ行きましたが、学校や塾の話をしながら歩く夜道も楽しくて、帰りにスーパーでアイスを購入。東京ではアイスなんて月に一回も食べないのに、自宅だと気が緩みすぎるのかも。

・東京に戻る日の朝、復活したバイクで15分ほどの実家へ行き、祖母の通夜や葬儀の様子を聞きました。祖父の時と同じような家族葬で、親戚一同が集まり雑談しただけだったみたいですが、相続問題も含めて滞りなく終わったそうです。人生だから色々あるけども、頑張って乗り越えていけている事を確認できてお互い安心できました。また私の載った新聞の切り抜きやこれまで撮った家族写真も貼ってあり、親の有り難みを再認識。両親も大病を乗り越えたばかりで油断はできませんが、私も覚悟を決めて挑戦していく決意を固めつつ、降り始めた小雨が落ち着いたタイミングで自宅へ。最後の昼食は地元のスーパーで買ってきた牛肉や鳥刺し、友人に頂いたアスパラを食べて荷物をパッキング。忙しく過ぎていく時間の中で、他の人があまり経験できないような体験もできたので、自分が歩むべき道を模索しつつ、命尽きるまで愚直に取り組んでいくしかないかなと開き直りつつ、空港リムジンバスで鹿児島空港へ。雨の展望デッキで飛行機を撮り、足湯で時間を凌ぎ、羽田では終電にダッシュで駆け込んで、深夜になんとか帰宅に成功しました。地元の南日本写真展で大きな賞を獲るという目的は達しましたが、実は世界に通ずる一枚を撮るという目標があります。今後は海外のフォトコンに挑戦し、展示や講演で世界中を回りながら撮影したい。希望が全て叶うとしたら何を望む?と自問自答して思い浮かんだのは「世界平和」でしたが、それに至る具体的な手法は、写真家ハービー山口さんの言葉を借りて「人を幸せにできる写真」を撮り続けて行くことかなと思います。写真と出逢って、本当に良かった!

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