オトナの夏休み!ヨコスカ満喫ツアー(前編)

銀座のヒコーキ写真展へ在廊を決めていた8月20日、大分から友人が上京すると聞いた。わざわざ展示を見に来てくれるのかと思いきや、明治から大正にかけて横須賀沖に建造された第二海堡の見学ツアー(¥9980)の参加が目的との事。2021年にKing Gnuがライブを行って脚光を浴び、かつてはMr.Children「終わりなき旅」のミュージックビデオが撮影された第二海堡は国土交通省が管理する建造物なので、一般人は認可を受けた業者によるツアーでないと立ち入りできない。機会があれば行きたいと思っていたので、決起会のドタキャン(横田基地の花火撮影へ)に引き続き、在廊を蹴る事に!僕の勝手なポリシーですが、写真家は見せるより撮る現場の方が重要と心得ているので、おもてなしをドタキャンした分はきちんと取材すべく、始発で横須賀中央駅へ向かったのであります。

 集合場所の三笠公園には07:30に到着し、開門すらまだでしたが、直後にいらっしゃった方と世間話をする事に。彼は水産系のボランティア活動をされており、観音崎の美しい水中写真を拝見して気分が上がる。大分のツレからは遅刻確定と連絡してきたため、先に予め記載した誓約書を差し出して受付へ。遅れた友人を出迎えつつ、YOKOSUKA軍港めぐりでお馴染みのトライアングル社が運行するシーフレンド1に乗船し、塩飴と飲料水を受領。30分ほどで第二海堡へ到着した。長崎の世界遺産端島(軍艦島)は一つの都市が丸ごと炭鉱の島として栄え、日本最古の高層アパートなど見応えがありましたが、第二海堡は大砲を設置するための要塞だったため、現在では灯台やレーダー、ソーラーパネルの他に目立った構造物は見当たらず。ただ桟橋にたどり着くと日本最古の防波堤と思われる構造物など、徐々に歴史の重みが伝わってきます。

 案内人によると、とにかく波を消して埋め立て作業ができる状態にする必要があるため、まず防波堤を建造し、その内側に砂利や石を積んで上部構造物を作ったそう。そもそもは沿岸に設置された大砲の射程距離を補うため、観音崎〜富津崎を結ぶ東京湾上に一定間隔で大砲を設置するための島を作るという国家事業だったそうだが、建造中に大砲の射程延長技術の方が確立してしまったため、存在意義がなくなってしまったらしい。それでも第三海堡(関東大震災で壊滅し撤去された)は水深40mを埋め立てるという世界に類を見ない偉業だったため、アメリカ陸軍が資料を見せてくれと頼みに来たらしい。そのまま仲良く技術協力できていれば多数の犠牲を避けられたのかもしれませんが、この時すでに米国は、日本人の高度な技術力を警戒していたのでしょう。

 撮影禁止エリアがあると聞いていたので緊張しましたが、一部施設が防災系国家資格の実技試験会場になっているため、試験問題が流出するとよろしくないという事情。それは大いに納得したので、撮可エリアを撮りまくります。砲台や弾薬庫跡と言われても遺構に過ぎず、かつての姿は想像するしかないのですが、レンガをコンクリートでコーティングしたり石垣を作る技術を応用した土台、中空の鉄骨など、建築マニアには垂涎の資料なのでしょう。なお使われたレンガは受刑者の刑務活動で作られたそうで、押してある焼印でどこの刑務所で作られたか分かるそうですが、なんと鹿児島製のものも多数使われたそうです。私もまぁ色々レンズを向けて見ましたが、ピンとこない部分もちらほら。解説はレシーバーで聞く事ができたので、列を乱しても聞き逃す事がなかったのは良い仕組みでした。

 最後に友人と記念撮影して、1時間過ごした人工島を退去。海保の巡視船やタンカーなどを撮れたのは乗り物マニアとしても収穫あり。三笠公園に戻って余韻に浸る時間ないまま、今度は猿島行きのチケットを購入し猿島へ。わずか10分で行ける無人島ですが、こちらも元々は要塞で、海水浴が禁止されているため砂場で会食を楽しむ若者や家族連れのパラダイス。おっさん二人の珍道中、ヒートアップしてきました!(後編へ続く)

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