入間の乱という、入間市役所を始め近隣の官公庁や商業施設を舞台とするサブカルイベントが3月12、13日に開催されました。主な企画はコスプレ撮影で、プラネタリウムや立体駐車場など普段なら絶対に撮れないような場所が解放されて撮影できるらしい。それだけでは私の食指も動かないのですが、このイベントに航空自衛隊入間基地も協賛し、普段入れない用途廃止機の展示場と、自衛官向けの研修施設である修武台記念館が開放されるとのこと!航空祭中止が決まった今、入間基地に入れるラストチャンスだと思い朝9時に車で自宅を出発。市役所に駐車して10時には修武台記念館への入場を待つ列に並びましたが、既に午前の部は締め切って午後は一時から受付とのこと。さすがに三時間待つのはしんどいので、オブジェとして飾られている用途廃止機を見に行きました。
検温と消毒、手荷物検査を受け、撮影料として¥1000、クリアファイルに¥500を支払って入場。まだ数名しか客がおらず、とりあえずこの日のために?お友達に調達して頂いた航空総隊のTシャツ(本物)を着用してセルフ・コスプレ撮影を楽しんでいると、予め合流を打ち合わせていたy-kay さんを発見したのでご挨拶させて頂きました。y-Kayさんはその筋で有名なミリタリー系フォトグラファーで、前夜Twitterのスペース機能を使ってオンライン座談会を企画された方。座談会は全国のスポッターがのべ100名以上集い、150分に渡って各基地の撮影事情について盛り上がったのですが、その事について話していると他にもカメラマンさんや元編集者さん、用廃機ハンターさんなどが集まり、期せずしてオフサイト座談会が実現しました。航空雑誌の中の方々なので話題が最前線なのはもちろん他言できないものも多く、この中では最も素人に近い私としては興奮しっぱなし。当然のように基地広報の自衛官とも知り合いで、何だかスペシャルな匂いが漂ってきました。
話に夢中になり修武台記念館待機列の監視が滞っていたのですが、いつの間にか入場整理券方式に変わり、とっくに当日の入場枠が無くなってしまったとのこと。以下詳しくは申し上げられませんが、交渉の結果メディア枠を特別に用意して頂き、一般客が入れない時間帯に取材させて頂ける事に!千載一遇のチャンスを頂き、広報担当者の引率で貸切の修武台記念館へ突撃しました。天井が高く開放的なエントランスはメディアの集合場所として利用されるそうですが、私以外は超が付くほどのミリタリー専門家で、広報官がフンフンと聞き入るほど詳しい知識をお持ち。私と言えばせいぜい鹿児島出身だけが売りでしたが、知覧特攻平和会館は正式に取材したこともあり、館内では加世田の万世基地が取り上げられていたので末席ながら立ち位置に恵まれたかも。ただまぁ万世基地ってどんなん?って尋ねられたら、サッカー大迫勇也選手の出身地で鳥刺し天国!としか答えられなかったかもなぁ(汗)
資料としては太平洋戦争の遺品から現代に至る航空自衛隊の歴史年表が主体で、戦後米軍にジョンソン基地として摂取された歴史もある入間基地においては、米軍との深い関係性も垣間見ることができました。お互いに殺し合い憎み合った間柄であっても、あくまで戦争は政治のいち手段であり、終わってしまえばお互い傷を癒やしつつ復興へ歩むしかない。皮肉にもアメリカ合衆国にしてみれば、日本人の果敢なスピリットを再認識するきっかけになったのかもしれません。そのスピリットを代表する兵器に「桜花」と言う人間ロケットがありましたが、なんと貴重な実物が展示されていました。以前河口湖飛行館の記事でも触れましたが、一式陸上攻撃機から切り離されて、最小限の操縦で敵艦に体当たりする、生還度が限りなく低い必殺兵器。全重量の半分以上を占める爆弾に、祖国と家族を守ると言う鋼の意志を載せて飛び立つ。それはアメリカ人はおろか日本人にとっても「クレイジー」と天を仰がざるを得ない恐るべき存在でしたが、何が酷いって、圧倒的に命中率が低いこと。潜水艦版として人間魚雷の回天も同様でしたが、発射前に母機が撃墜される可能性が高く、うまく発射されたとしても着弾前に対空砲火で撃墜。外したとしてそれを犬死にと呼べるほど、見送る側としては達観できたであろうか?いや、そんなはずはなかろう。声にもならない嗚咽を押し殺し、あろう事か仇を取らんばかりに、次の搭乗者候補として名乗りを挙げたに違いありません。
そりゃ怖いし、命は惜しいでしょう。ですが仮に、軍人と民間人の区別も付けないまま怒とうの如く押し寄せる軍隊があったとして、我々はどんな気持ちになるでしょうか?闘うスキルがなかったとしても、竹槍を構える練習から参加したのではないでしょうか?そして同じことが、この文明が発達した現代で、ウクライナで起こっています。欧米人だから、狩猟民族だからというのではなく、我々日本人にとっても身近な農耕民族だからこそ、何よりも家族と土地の絆が大事で、命を賭けるに値すると信じているのでしょう。前回の対戦と異なる点は、高度な情報通信網の発達により、メディアを介さずに戦争の空気感を体験できること。これにより、大戦中の日本人がことさら好戦的で、人殺し集団だったという意見が真っ赤な嘘であったことが理解できますし、むしろ平和ボケした我々よりもずっと高潔で、潔いご先祖様であったでしょう。そういえば私の祖父の世代は、確かにどことなく風格があり、海軍航空隊の血を引く自分としても誇りに思っています。ちなみに祖父の写真は私が取材した鹿児島市の昭和(樹林舎・絶版)に掲載されているので、図書館か古書店でお探しください。
話が逸れましたが、資源の輸入を断たれてやむを得ず開戦に踏み切り、局地戦の勝利で講和を引き出すという当初の目論見が崩れて、戦いが続くほど兵站が枯渇。引き際を誤った挙句の原子爆弾。精神的にも徹底的に打ちのめされた我が国は、50年以上をかけて再び国防への礎を築き、若鷲を思わせる自衛官が育っています。入隊時に任務に対しては命を張る事を誓約させられますが、その命は個のためではなく公のために使うべしという意味が込められています。それはつまり公務員全般に言える事であり、そもそも民主主義国家に生きる住民は、全員が守るべき信条なのではないでしょうか。一度リセットされた軍事技術もジェット機を国産開発できるまでに復興し、アメリカとの強力なパートナーシップで世界一流の国家へ飛躍を遂げましたが、国際協力の大切さを命の代償で認識した日本だけが、核兵器や戦争の悲惨さを世界に訴え続けられる資格があると思います。
かわぐちかいじ氏の漫画「空母いぶき」では、尖閣諸島奪還作戦についてリアルに描かれておりますが、あそこまで具体的にイメージされてヘラヘラ笑っていられるほど、日本人は愚かになったのでしょうか。大切な家族や見慣れた景色をどうしたらいつまでも保っていけるのか、今まさに栄華を誇ったウクライナの斜陽を凝視しながら、できる支援に目を向けて、未来を描いていきたいものです。なお修武台記念館の展示写真につきましては公開不可のため割愛、いずれいくつかの媒体で露出されるかもしれませんし、コロナ自粛が落ち着けば抽選で入館できる見込みとのこと。未来は今を生きる一人一人に、懸かっているのですよ?いろいろな思いを抱いて、ジョナサンでランチ会およびジョンソンタウン観光でクールダウンし解散。いろいろ収穫の多い1日でした。