TOKYO2020体験レポート

さて、57年ぶりに開催された東京五輪が終了しました。新型コロナウイルスが猛威を奮う中、強引にも映る開催ヘの成り行きは防疫よりも利益を優先する構造が垣間見られ必ずしも良い気持ちはしませんでしたが、開催を信じて諦めず牙を研いでいたアスリートの皆さんは大いに活躍して、素晴らしい躍進ぶりをTVで拝見。伝統の柔道や空手に加えて、野球やバスケ、ソフトボールの奮闘、フェンシングや卓球なども若い世代が大活躍!とりわけサーフィンやスケートボードは、今後のプロスポーツとしての成熟を楽しみに思いました。個人的には登山経験からスポーツクライミングを楽しみにしていて、僅かな手がかりを正確に捉えてスパイダーマンのように崖をよじ登る様子は、超人的な技術のように思えました。決勝を前に選手同士が国の枠を超えてどうやったら攻略できるか話し合い、競技後も互いの検討を讃えあう様子はまさにスポーツマンシップを体現させた触れ合いで、ラグビー用語の「ノーサイド」。命がけで各種目に臨んだ選手の皆さんは、素晴らしい経験をなされたことと思います。

 無観客や広告削減により大赤字とも言われ、その負債は今後何らかの形で我々にのしかかってくるかもしれませんが、厳戒態勢の五輪開催強行は改めて、日本という国の底力を海外に見せつけられたのではないでしょうか。表現はよろしくないかもしれませんが、血が流れない戦争と言えなくもない。メダル獲得数が、そのままコロナ下における国力の順位に見えるなと思いました。選手村での待遇や食事については予想通り絶賛の嵐!多くの外国人にとって日本とは、改めて黄金の国ジパング、平和で人が良くて食べ物が美味しくて、まるで桃源郷のようなイメージを植え付ける戦略はひとまず当たった。来るべきコロナ終焉後の猛烈なインバウンドをどう捌いて負債を回収するか?そこに日本の浮沈が掛かっているのかもしれません。開会するまでは懐疑的であったオリンピックも、根が単純な私は日本人選手の活躍に感化され、いつの間にか肯定派に。氏名や外見が日本人ぽくない選手も多かったですが、日の丸を背負って戦ってくれるなら大歓迎ですし、そんな時代なんだなと認識。混合種目も増えて、男女差もますます薄れていくことでしょう。

 実は2年前、オリンピックのインフラ整備要員として東京出張を打診されておりましたが、延期のおかげで消滅。オリンピック開催中の東京をぜひ肌で感じたい、あわよくばメダリストのプレイを激写したいと思っていたのですが、ひょんなことから違う目的で東京移住する事に。諦めた夢に再び火が灯ったかと思われましたが、今度は新型コロナウイルスを締め出す鎖国大会で、まさに塀の中で開催されるオリンピックでした。沿道での観覧や応援は自粛下さいと周知されたので大人しくしていましたが、オリンピックのロードレースを見に行った方から「速くて凄かった!」と興奮気味に伝えられ、「なんだよ見に行けるんかい!」と後悔。もちろんモラルを重んじるなら我慢するのが真っ当な行動ですが、短い人生の中でメダリストを撮れるチャンスはもうないかもと開き直り、8月29日にパラリンピックのトライアスロンコースを電撃訪問したのです。

 始発で最寄駅を出発し、朝6時過ぎにお台場へ。観客よりも警備が多い物々しい雰囲気の中、ヘアピンカーブで減速するポイントを見つけて陣取ります。車椅子が必要な方のトライアスロンってどんなマシンだろうと興味津々で眺めていると、スイムを終えたトップランナーが中継バイクの先導でフレームイン!なんとペダルを手で漕ぐハンドサイクルに仰向けとなり、肘を剃らんばかりの地面スレスレでコーナーをすっ飛んで行きます。以前ゴリラという車高の低い原付バイクに乗った際、低速であっても体感速度がエグい事に驚いたものですが、どれほどの度胸があればあんな状態でマシンを操れるのでしょう!健常者と比較する事すらバカバカしい、圧倒的なスーパーヒーローでした。

 すっかりパラトライアスロンに魅了され、息をするのも惜しいほどシャッターを切り続けましたが、立ち位置を間違えて別の種目のランで締める事に。脚が動かない方のランは競技用車椅子だったそうですが、手足欠損の方は義足や片手で猛ダッシュ!どれだけの努力を伴えば、世界の頂点を目指して戦えるのでしょう。選手のご家族が応援したり、日本人選手に声を掛けたりする様子をみて、ようやくオリンピックがNippon Tokyoに来ている事を実感できました。結局競技をがっつり見られたのはこの機会が最初で最後でしたが、TVでは車椅子ラグビーやバスケを応援。改めて井上雄彦さんの車椅子バスケ漫画「リアル」を読むと、ひどいギックリ腰で腰下に激痛が走った際、腕だけで体位変更を行う事の大変さを思い出します。日常生活でも数多くの訓練と工夫で、ハンディを克服しているものと思われます。

 こうして競技に触れた事で急にオリンピックが身近に感じられ、オリンピックにまつわるイベントやモニュメントを探し回るように。特に公式マスコットのミライトワとソメイティの魅力に今更ながら感化され、プラモデルを買ったり設置場所を訪れたりしたのですが、パラリンピック開会式の時に知り合った方から教えて頂いたお台場のファンパークという、オリンピックやパラリンピックの競技を体験できるアトラクションで、閉会式の1日前にミラソメが登場という告知をInstagramで見つけました。ファンパに入るだけで事前登録と都民である事を証明できる身分証明書、手荷物検査が必要という狭い関門でしたが、青海のファンアリーナと共に各2回訪問して、車椅子テニスやバスケで使う競技用車椅子を体験。最後ミラソメに会うため雨の中2時間待たされましたが、選手ですら記念写真にありつけないほどレアだったミライトワとソメイティとのスリーショットは、2度とない貴重なチャンスで感激しました。最後はテレビでじっくり見たパラリンピック閉会式で、ダンスの輪の中心で踊るミラソメを見納め。これらのイベントもプロデューサーの解雇などドタバタ続きで、ミラソメの登場機会が少なすぎると批判が続きましたが、よくぞまぁ大団円で締めくくれたいものだと思います。

 また、有楽町駅前の東京スポーツスクエアにはメディアセンターが設置されましたが、誰でも入場可能な日本の文化や産業をメディア向けに紹介できるスポットが用意され、47都道府県の特産品も展示販売されていました。鹿児島からは知覧茶やフリーズドライ鶏飯など販売されておりましたが、知覧茶のブランドイメージは東京で絶大な威力を誇り、どこのスーパーでも手に入る様子が衝撃的でした。ここでミラソメ像を撮影したのを皮切りに、都内各所に設置されているミラソメ像を追いかける旅へ出かけたのですが、全ての場所に違うポーズが設置されているわけではなく、高幡不動と江戸東京たてもの園は同じ着物姿など特徴がありました。一番行きにくそうな奥多摩湖は奇跡的に近くで仕事があり、日没後三脚と携帯ライトで激写に成功。一番近い国立昭和記念公園では誰も記念写真すら撮ろうとせず放置されていたものを、たっぷり時間をかけて夕日と絡めることができました。Instagramでキャンペーンをやっていたので10枚ほどタグつけて応募したら見事150名に当選したので、賞品のミラソメグッズ待ち。大量に売れ残っているであろうぬいぐるみなどは、これから投げ売りが始まるかもしれませんね。

 都内からは少しづつ五輪の装飾が剥ぎ取られ、五輪誘致前の状態に戻りつつあります。オリンピックモニュメントは高尾山頂や羽田空港沖、お台場で撮影し、パラリンピックモニュメントはファンパークとお台場で。東京スカイツリーの五輪ライティングや有明の聖火台も撮ることができました。特に聖火台では聖火ランナーとして栃木のアンカーを務めた方がトーチ持参でいらっしゃったので、記念に持たせて頂くサプライズ!いわゆるガストーチで超軽量ですが、お値段七万円は自腹と聞いて呆然!無観客のため聖火リレー自体がなくなったり有償ボランティアの賃金が値引きされるなど犠牲も膨大でしたが、笑顔と親切を振りまいたボランティアの皆様も頑張りました。しかし五輪の快進撃を乾杯で祝うことも許されず、飲食店はアルコール提供禁止と早仕舞い。光放つお祭りの影では、絶望して悲嘆に暮れる方々も多かった事でしょう。強行開催の結果が景気にどのような影響を与えるのか、政権の行方にも注目ですね。国民一人一人の頑張りが正しく評価されて、明るく照らす未来永遠(ミライトワ)So mighty(ソメイティ)でありたいものです(ファン故の強引すぎるオチ)